2025年に読んだもの
DANGER
ネタバレにあたる部分はDetailsとしてクリックしないと表示されないようになっていますが、万全ではないかもしれません。目次にてタイトルなどご確認の上、ご自衛ください。
女のいない男たち - 村上春樹
人に貸してもらって読んだら凄かった。より正確には、『木野』に至るまでの構成が凄いのか。
氏の小説を一作品通してがっつり読むのはおそらく中学生のときの『1Q84』以来で、後はエッセイや短編をつぎはぎに読んできただけだったので作風が自分の中のイメージよりも熱くてびっくりした。
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『木野』の手前までは、各話につき一つずつ与えられたぼんやりとした主題をその都度ぐるぐるとなぞることの繰り返しに思えたが、『木野』によって「傷つくこと」という明確な視座が持ち込まれ、それまでの各話が逆光で照らされ、今までなぞっていたのはそれが入ったカップのフチだったのだ!と気付かされるような体験だった。
全然違うかも。でも読んで間もない時点での感想を書き残すことが大切!
体感として、各話を単体で読まされたら全然つまんなかっただろうなと思います。灰色の猫が再登場したところで既視感が正常に発動して本当に良かったです。最後の表題作は意味としては捉えかねていて、自分の中で People In The Boxの『どこでもないところ』しか引き出しが無い。
十角館の殺人 - 綾辻行人
人に貸し出すにあたって久々に軽く読み返した。
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やっぱり肝心のトリックの大前提となる事項に無理があるよな(普通に友達と旅行の話とかするだろ!)と思うのですが、それでも初見時の衝撃はデカい。
本格ミステリの金字塔として人に薦められる一冊。
死者の奢り - 大江健三郎
ミュージックプラントの方の萎びた古本屋でぼったくられた購入した一冊。レジで価格を告げられて想定より高かったとき、つい意地を張ってしまいがちである。
読んでみたらめちゃくちゃ良くて、購入した甲斐があった。表題作も良いのだが、中盤の『飼育』から最後の方にかけてが特に好き。ある日を境に世界への解像度が急激に上がり、同時に喜怒哀楽の閾値も跳ね上がる、そういう時期が自分にも確かにあったはずで、本作ではそれを克明に描写できているところに凄みを感じた。
車輪の下 - ヘルマン・ヘッセ(訳:高橋健二)
某社のインターン中に浜松の古本屋にて百円で購入。大衆文芸の他、宗教と地理に力を入れているお店だった。
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まず何より結末にびっくりした。てっきりハンスはどうにかなるものと思い込んでいた。
作者のバックグラウンドを後から色々知って諸々なるほどねとなったが、予備知識ゼロで読んだ方が楽しい気がする。感情と思考がいちいち丁寧かつドラマチックに言語化されていて、誰しも脳内を文字起こししたら文学になり得るのかもしれない。
後半では世界への解像度が上がって急激に“醒める”様子が描かれていて、これはちょうど大江健三郎の『飼育』に近いものがあった。少年期を題材にするとこういう展開になりがちなのだろうか。
ごく終盤の機械工の仲間と飲みに行くくだりが一番良かった。普通の人々のコミュニティの中に普通なふりをして混ざろうとする不器用ないじらしさとか、それでも自分の過去(そしてそれ故の現在の自己)は拭い去れないということへの絶望感とか、そういうものは意外と普遍的に存在しているのかもしれないねと思えて嬉しかった。
あと地元に戻って療養するくだりで主人公を弄ぶ魔性のギャルが出てきて、やはりいつの時代も創作においてこの手のギャルは覇権コンテンツであるなあと思った。
逆ソクラテス - 伊坂幸太郎
人と話していて名前が挙がり再読。寓話性が肌に合わず途中で止めてしまったと言っていた。
寓話性、言い換えれば勧善懲悪のような図式、は伊坂幸太郎の作風としてずっと通底しているという印象だが、確かにこの作品ではそれが顕著だなと思う。とは言え自分はゴリゴリ俗世の人間なので、快さを以て楽しめてしまいます。『非オプティマス』が一番好きで、でも『逆ワシントン』はちょっと狙いすぎかなと思った。
ずっと敵だった小6の時の元ヤンの担任とか、最後まで得体の知れない独裁者だった高校のサッカー部の顧問とか、(また会いたいとはあんまり思わないけど)今なら当時の彼らとまともに話せるのかもしれない。
知と愛 - ヘルマン・ヘッセ(訳:高橋健二)
どちらが優れているという話ではないけれど、『車輪の下』がいち私小説という印象だったのに対して、本作は「これが名著です」というような印象を受けた。長い物語に大きな起伏を作りつつも最終的には元の場所に戻ってくるドラマチックな山手線。
途中までゴルトムントが全然いけすかなくて何やこいつ!と思いながら読み進めていたが、ペスト流行のあたりで「ナルチスもゴルトムントも主題を語る上でのアイコニックな舞台装置であり、彼らのパーソナリティに注意を傾けすぎる必要はない」と割り切ってからかなり読みやすくなった。あとこの辺からずっと頭の中でPeople In The Boxの『Frog Queen』が流れており、同アルバムに対しても何か新しい解釈を得たような気がする。
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終盤でゴルトムントが再び旅に出た後、ゴルトムントの中に眩い境地を見出したナルチスが己のこれまでの修道院生活へ疑問を抱くシーンが一番好きだった。ナルチスお前元気出せよ!!!
それこそ『少女終末旅行』とかもそうですが、おれは一日ずつ懸命に積み上げてきた生活を振り返って「本当にこれで良かったのか」と取り返しのつかない問いに苛まれる展開に弱い。それを肯定してくれる作品が好きだなと思うし、実際問題として我々はそれを肯定して生きていくしかないとも思う。
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意外だったのは結局ゴルトムントにとって最後まで「愛」が母性と不可分だったことで、最後のページを読みながらお前まだ母性の話すんのかよ!と思った。この母性への憧憬という側面で言えば、本作を読みながらずっとエヴァンゲリオン(TVアニメ版~旧劇場版)を想起していたけれど、順番が逆でエヴァが本作に似ているのか。
おそらく自分が詳しくないだけで、哲学や心理学においてはこういう母性とか性愛とかがちゃんと体系化されているような気がする。無学。
となり町戦争 - 三崎亜記
人に貸すに当たって再読。やはり良かった。ネットで「香西さんがラノベすぎる」という感想を見かけて、言われてみれば確かにと思った。
なお初めて読んだときは単行本だったのですが、今回は文庫版を入手したところ最後に「別章」なる書き下ろしが追加されていて、これは明らかに蛇足と感じた。大事なことは二回言え、という主義なのかもしれない。
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド - 村上春樹
上巻
舞台の説明を一通り終えて、風呂敷をようやく全部広げたところ。それを文章でやってのける小説家という職業はやっぱり凄いなあ、という一般論のような感想を抱く。あとこれはあまり良くない冷やかし仕草ですが、主人公が「やれやれ」と言ったとき本物だー!と思った。そしてかなり烏滸がましいけど、シャフリングは自分の基板設計のスタイルとかなり似ている。
下巻
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薄々感づいていた通りがっつりセカイ系(広義)の展開になって、「いやお兄さん、セカイ系やるならやるで全然言ってくださいよ👊😁構図の説明に上巻丸々使うとか水臭いじゃないすか👊😁」などと思っていたが、調べてみると本作がセカイ系の一つの源流らしくてヒョエーとなった。これの18年後にハルヒの連載が始まったと考えると、当時これが出たときの衝撃って凄かったのかもしれない。
全体を通して
読み終えてすぐ「折角ならオチをあと少しだけでも明確にしてくれよ」と強く思った。ここまで来たら描き切ってくれないと収まりが悪い。でも小説という形態においてこの物語を終わらせるにはこれしかない気もする。
ただ、振り返って終盤を辿りなおすうちに、自分がこの作品に対して物足りなく感じている要因はエンディングではなく「私」の人物設定の部分にあるっぽいと気付いた。
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彼がどのようなパーソナリティを持った人物であるかは十分に記述されている一方で、なぜ一人だけシャフリングの処置に耐えられたのか、引いては彼の過去に具体的に何があったのかということへの説明が自分の読んだ限りでは終盤の「もっと若いころ、私はそんな哀しみをなんとか言葉に変えてみようと試みたことがあった。~」の一節で完結しており、この簡潔さによって、自分が読者として勝手に期待していたエンディングでのカタルシスを裏切られたのだと思う。
もっとも、いずれにしても自分が受け取る主題に大きな変わりは無かったと思うので、こちらが野暮ということ!自分は最近この歳にして漸く己という人格への諦めがついてきて「なんやかんや言うてもこいつの人生を全うしていくしかない」みたいな覚悟が定まってきた感じがしていて、その影響で本作においてもこの「人生やっていき論」を主題として感じた(特に終盤において「公正」という言葉で語られている部分)。
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その結果として「僕」は世界の終りに残ったのだと解釈している。
なめらかな世界と、その敵 - 伴名練
おすすめとして貸してもらって読んだ。この手の正当なSFを読むのは久々で少してこずった感がある。
SF的なアイデアは存分に楽しめたけど、それを物語へ落とし込む部分が少し希薄だった。最終話に関してはこの点をかなりクリアしているかに思えたし読んでいてかなりエキサイトしたが、問題解決後のエンディングが安っぽくてオーとなった。 これらの件が巻末の解説では「エモい」と評されているので、単純に好みの問題なのかもしれない。
三日間の幸福 - 三秋縋
ヨルシカリスナーと卯月コウリスナーがこぞって読んでいるやつ(偏見)!身の回りで読んだ人たちは賛否がかなり明確に分かれている。とまあ色眼鏡をかけて読み始めたが、読み終えてみると普遍的な名作なのかもと思った。我ながら偉そうな感想。
監視システム・監視員あたりの設定が甘いとか、主人公の言動が白々しくて鼻につくとか、そういう項目をすべて舞台装置として呑み込んだとき、作者があとがきで語る目論見は概ね成功しているように思えるし、実際のところラストシーンでは“そういう美しさ”を自ずから感じることができた。
ただ前述の舞台装置を呑み込むためには、ラノベ的な都合の良さとか、感情マゾ的な文脈への免疫とか、あともしかすると思春期特有の独りよがりすぎる恋愛体験(こっ恥ずかしい!)を必要とすると思われ、ここが本作品を受け入れられるかどうかの分水嶺なのではなかろうか。
スローターハウス5 - カート・ヴォネガット・ジュニア(訳:伊藤典夫)
同一人物の時間軸をシャッフルすることで群像劇のような仕上がりになっていて新しい体験だった。個人的な感覚として2年以上前の自分のことは他人(より正確には、同じ記憶を共有している他人)であるように思えるのだが、過去の自分たちをこのように時間軸で切り出して描くと正に群像劇になるのかもしれない。
自分はこれまでの人生経験から、希望の対極として絶望がある(つまりプラスに対してマイナスがある)と認識しているが、戦争においては絶望と言うよりも無希望(ゼロの状態)があり、その発露として「そういうものだ。」が置かれていた。このような記述は他の戦争文学でも目にした覚えがあり、やっぱりそうなのかと思う。生死がたまたま一元的であるが故に絶望も無希望も行き着く先は死であるが、その経緯は全く異なる。この本を貸してくれた人曰く「戦時下では絶望が圧倒的に希望を上回る重みを持ってしまい、無希望が最適な選択肢として選ばれてしまうのではないか」ということで、正しいように思った。ある種の防衛機制と言うべきか。
ニルヤの島 - 柴田勝家
北大近くの古本屋で購入。昨年に同名のライブイベントがあって、行けなかったことが未だに心残りだったため目に留まったのだ。後でメルカリで調べてみたら自分の購入金額は割高だったが、まあこういうものである。
物語を通底する「ミームこそが神である」というような主張は面白かったが、一方で物語そのものの語り方がかなり難解で、そこまでする必要があるのか?とも思った。再読する余裕のある人向け。
中国行きのスロウ・ボート - 村上春樹
今年は良きレコメンダーの導きで村上作品をいくつか読んだが、その中でかなり好きな部類だった。
初めは何かを言っているようで何も言っていないように感じたが、3本目の『ニューヨーク炭鉱の悲劇』を読み終わったあたりでこの短編集の主題をようやく悟り、同時にこのツイートのことを思い出した。そして逆説的に、実はこのツイートは確かに何かを言っているのだということが分かった。
結局のところ、少なくとも自分のコミュニケーションというものは他人とインターフェースどうしを接続しているに過ぎなくて、中身まで知りたくなったときにどうすれば良いのかあんまり分かっていない。もし仮に中身というものが存在していたとしても、それもまた何かしらの輪郭を以て外部に知覚されるものであろう。だからその人物が去ると輪郭だけが残されて、正解のない塗り絵みたいになってしまうらしい。出会いや別れを「そういうもの」として割り切れてしまっているので、そこまではちゃんと考えたことが無かった。
犬を飼ったことはないけれど、庭にボロい犬小屋を建てたら何かしらの感傷が引き起こされるのかもしれない。
風の谷のナウシカ - 宮崎駿
実家に帰った際に、良い機会と思って読み返した。前に読んだときは話の筋をきちんと把握できなかった気がするのだが、今回は腰を据えて時間をとることで概ね理解できた。対立しあう国のそれぞれが一枚岩ではないこと、そして場面の転換が雑であることが読みにくさに一役買っているように思う。もっとも前者は仕方のないことである。
感想としては、宮崎駿の生に対する眼差しが熱すぎる。生きることってそんなに素晴らしいのかよ!ある意味では松岡修造的というか、受け取った側に精一杯生きることを約束させるようなパワーがある。そして皇弟のなれ果てを従えるシーン(=カオナシと線路を歩くシーン)など随所でジブリ映画を想起させられ、やはり同じ人が作るとこうなるのかと思う。セルムが最後まで良い感じのポジションを占めてたのはちょっとずるくないですか。
ナウシカは強い人だったので争いの果てに未来について大きな決断を下したが、自分のような人間はもう何とも敵対せず、何とも迎合せずにいるしかない。
恋人不死身説 - 谷川電話
現代短歌を読んだのは青松輝の『4』以来である。『ジョゼと虎と魚たち』が好きなら…と言って貸してもらったがこれは自分の中では少し違った。
盲目的な恋に落ちると毎日がジェットコースターの様相になるのは経験を以て理解できるが、このときこのジェットコースターは時間軸に沿って進んでいる。対して『ジョゼと~』ではジェットコースターの頂上での一瞬を極限まで引き延ばすような価値観が提示されており、自分はその刹那性に感動したのであった。ただ、作者があとがきで言っていることは比較的『ジョゼと~』の方に近いのが気になる。何にせよここまで言語化できたのは本作を読んだおかげである。
あと純粋に、三人称視点じゃなく一人称視点で恋愛を主題に詠まれると惚気っぽさが強くなって厳しいものがある。でも短歌って一人称のイメージだ。字数制限のせいだろうか。
